「脱社畜」という価値観について

最近、とある界隈で話題になっている「脱社畜」というワードに興味を抱いた。何やら炎上が起こっていたために、盛り上がっていたらしい。私も野次馬根性がある人間なので、あれこれ見て回ったが、そちらの話については特に面白いことはなかったので省くことにする。ただ、「脱社畜」という言葉自体は気になった。「そもそも脱社畜ってどういうことだろう?」と思ったし、それを志向する人々の価値観も興味深く感じたのだ。

脱社畜は「脱・社畜」であり、「社畜から抜け出す」という意味らしい。だが、ここで私は混乱してしまう。どうして社畜から抜け出さなければいけないのか、と。

社畜とは、「会社に飼われた家畜」を表す言葉で、要するにいわゆる会社員を指す言葉だ。会社の命令通りに仕事をこなし、会社という狭い世界しかしらない人々を揶揄する言葉として使われている。そういう生き方をしていると会社が生活のすべてになるから、「社畜」になることで「人生の可能性を潰している」といった言説が増えているのである。

私個人としては、1つの価値観だけに染まりきることは大きな問題があると思う。1つの会社だけが世界のすべてになれば、その外側に目を向けられなくなって、結果として人生における損を被る可能性は増えるだろう。そういう意味では、確かに「脱社畜」は好ましいのかもしれない。ただ、「脱社畜=独立」のような考え方には賛同できない。自立することと、起業することが同一視されているのはどういうことなのだろう。

残念なことに、私は「社畜」になったことがない。企業に就職したことがなく、せいぜいアルバイトや請負(それも長くて半年)で雇ってもらったことしかなかった。ただ、それは私が社畜から抜け出したというよりも、「社畜にさえなれなかった」からである。だから余計に考えてしまうのだろう。社畜の何が悪いのか、と。

会社に雇われて働くことはそんなに悪いことだろうか。もちろん、法令順守ができていないブラックな企業で働いているのは良いことではない。即刻、労基署へ逃げ込むべきだろう。しかし、きちんと経営をしており、社会的に認められている企業で働くなら問題はないのではないか。

「休日が少ない」「残業がキツい」「きちんと給料が出ない」と、社畜の現状を嘆く人もいる。だが、自営業や会社経営を始めると、そんなものは「愚痴にすらならなくなる」だろう。休日なんてないようなものだし、必要があれば徹夜で仕事をすることになるし、給料どころか赤字で借金を背負うこともある。経済的にも生活的にも、社畜を遥かに凌ぐ過酷な環境に身を置く可能性が大きいのだ。それでも、「社畜を抜け出す」意味はどこになるのだろう。

1つ考えられることがあるとすれば、それは「価値観・世界観の広がり」だろう。前述したが、社畜になることで1つの会社のなかだけが世界のすべてになってしまうのは危険である。それは生き方を縛られることになるし、自分に必要なものを見つける手がかりが遠ざかることにもつながる。だから、「脱社畜」を通して、世界観を広げようというなら理解できる。ただし、世界観を広げるために「脱社畜」が必要かと聞かれると、それは違うと思う。

もし、社畜と呼ばれる人々が本物の家畜のような生活を強いられているのなら、確かに抜け出すことを最優先するべきだ。しかし、実際には違う。彼ら彼女らはきちんとした人間であり、大人だ。だから、社畜をしながらでも見識を広げたり多様な価値観に触れたりする手段はある。いろいろな人の話を聞いてもよいし、本を読むのでもよいだろう。新しい趣味を持つというだけでも、考え方が変わることはある。にもかかわらず、「脱社畜」なる言葉に惹かれていく人々は、一体何がしたのだろうか。

ここはあえてハッキリ言っておくが、「社畜から抜け出したい」などというモチベーションで起業するのはリスクが大きすぎる。それならまだ、「お金持ちになりたい」という理由で始めたほうがマシである。「○○から抜け出す」などという逃避的な思考で成り立つほど、事業というのは甘くないだろう。

価値観を変えるだけなら、「脱社畜」などする必要はない。むしろ、それは自ら余計な苦労を背負い込む道でしかないだろう。しかし、「脱社畜」という言葉には、何とも言えない魅力を感じてしまう面もある。

思うに、これは「社畜」という言葉の持つ重力の反作用なのではないか。「自分は社畜だ」という感じる心理の裏には、「自分は社畜だから幸せではない」という意識が見える。少なくとも、「社畜だから幸せなんだ」という雰囲気で社畜を自称する人を見たことはない。つまり、「社畜」という言葉そのものが一種の「スケープゴート」なのではないか。

すると、「脱社畜」は「社畜という不幸状態から脱出する」という意味が生まれる。そして、「不幸から抜ける=幸せになれる」という解釈が生まれるわけだ。「脱社畜=幸福になる」とは、実に単純かつ分かりやすい方程式である。

ただ、こうした方程式はおそらく成り立たない。「不幸な現状から抜け出す=別の不幸が訪れる」というパターンは決して少なくないからである。不幸の裏が不幸だったりするのだ。「社畜をやめれば」「起業すれば」「会社を持てば」幸せになれるわけではない。世の中、そんな単純な話で済むはずがない。しかし、一度刷り込まれた「脱社畜=幸福」という価値観は、簡単には消えないだろう。もちろん、「脱社畜」から幸福になれる人もいるだろうが、おそらくそれは少数派だ。そもそも、会社を興して5年以上維持できる割合は10%にも満たない。それ以外はことごとく倒産を迎えている。世知辛い話ではあるが、現実は常に厳しい。

それにしても、「脱社畜」とは実に面白い言葉だ。「会社の価値観にとらわれるな」「もっと別の生き方がある」と言いつつ、そこで教わるのは「社畜を続けるのは愚かな行為」という「たった1つの価値観」なのだから。本当の意味で広い世界を見るというのは、「幸福な社畜も不幸な社畜もいる」ことだし、「起業で成功する人もいれば失敗する人もいる」ということである。

と、「社畜未満」の私は考えてしまう。


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おおず大豆

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