『幸せとお金の経済学』(著 ロバート・H・フランク/フォレスト出版)

格差の拡大が進んでいる。有能な人々が収入を伸ばし続ける一方で、所得が少ないために生活が苦しくなる人たちが増えるようになって久しい。しかし、「稼げる人がたくさん稼いで何が悪いのか」と言う人もいる。高い収入を得る人がいることと、貧しくて苦しんでいる人がいることに関係はないというのだ。「格差は悪である」というのなら、高所得者の存在が、そのほかの人々を苦しめていることを証明しなければならない。そのための鍵となるのが「地位財」なのである。

本書『幸せとお金の経済学』では「地位財」という考え方にスポットを当て、格差の拡大がいかに人々の生活を圧迫しているのかを読み解く。地位財とは、「他人の所有物と比較することで幸福感を得られる財産」のことである。地位財の代表例は「住宅」だ。人は家を購入する基準として、「住み心地の良さ」と同等かそれ以上に「他人の住宅と比べて立派か」という点を考えるという。「他人の家よりも大きい」「ほかの家よりも豪華」「お客を呼んでも恥ずかしくないオシャレさ」などと求めるというのだ。

大きい住宅はたしかに便利だろう。たくさんの部屋があれば用途を分けることができるし、快適な暮らしを提供してくれる。だが、一定以上の大きさを超えると、便利さは向上しなくなる。それどころか、掃除や管理が難しくなり、維持費がかかるようになるだろう。それでも、多くの人が所得の許す限り大きな住宅を手に入れようとする。いや、所得から考えれば明らかに無理な大きさの住宅を購入しようとさえするのだ。なぜなら、住宅は「地位財」であり、「他人よりも優位である」と感じることで幸福を得るものだからである。

地位財は大昔から存在するものであり、社会的な生き物である人間にとっては欠かせない存在でもある。他者よりも優位であることを示す「マウンティング」は、より良好な環境を得るために必要だからだ。社会のなかで評価を高めるため、きらびやかな装飾品を身に付けたり巨大な邸宅を得たりする。そうした行動を望むのは、人間にとって当然のことなのである。

ところが、経済学において「地位財」という考え方は否定的にとらえられてきた。なぜなら、地位財が「人々の羨望や嫉妬を肯定する考え方」だとされたからだ。「他人よりも豪華に」「周りよりも大きなものを」という価値観は、「経済主体は合理的な選択をする」という経済学の根幹を揺るがしかねない。

自分の効用ではなく、他者の視線を意識した欲求に流されるのは、合理的主体ではなく「浅はかな人間」でしかない。しかし、本書ではそうした経済学の常識を否定する。「地位財」は決して嫉妬や羨望の感情から生まれるのではなく、「経済的な必要性によって地位財を求めざるを得なくなる」というのだ。具体的な例として、「就職活動におけるスーツ」がある。

ある企業が求人をかけると、2人が応募してきた。どちらも能力には大した差はない。そして、片方は見映えの良い高価なスーツを身につけ、もう一方はいかにも安物のスーツを着ている。もし企業の求人が定員1名だった場合、おおよそ前者が雇われ、後者には不合格が通知されるだろう。

今回の例では能力的な差はないとしたが、実際には「高価なスーツを着た能力的に劣る人」と「安物のスーツを着た能力に優れた人」が比べられ、前者が雇われるということが頻発する。つまり、「スーツの価格が劣る」というだけで、就職活動が不利になる場合があるのだ。

このようなケースが頻発すると、その後に起こることは簡単に予想できる。誰もが高価なスーツを身につけるようになるのである。そうすることで、スーツの優劣で就職活動の不利を被ることを避けようとするからだ。ところが、話はそこで留まらない。なぜなら、より高価なスーツを身につければ就職活動で有利になることを全員が知ってしまったからだ。

すると、「さらに高価なスーツを着よう」と考える人が現れる。こうなると、状況は最初に戻ってしまう。そして、周りもまた「不利を抜け出すためにさらに高価なスーツ」を購入する。こうした状況が何度も繰り返し続けるのである。1人ひとりの出費だけをひたすらに引き上げながら。

もし地位財を求める気持ちが嫉妬や羨望といった単純な感情の表出なら、それは自制心の問題である。ところが、実際には「地位財を持たないために経済的な不利を被る」という場面が少なくない。みすぼらしい服装や古びた車、小さな住宅に住む人間はビジネスの世界において「無能」だと判断される。無能だと思われれば、仕事を得ることはできない。仕事がないがゆえに地位財を獲得できず、それが仕事を減らす原因になる。これこそが地位財の恐ろしさなのだ。

地位財のもう1つの怖さは、たった1人の大金持ちの行動があらゆる人に波及する点である。もし年収が数千億円ある人が、今よりも大きな邸宅を購入しても、それが庶民の生活に直接影響したりはしない。だが、その人物よりも少しだけ収入の低い層には大いに影響する。「あの人には及ばなくても、自分ももう少し立派な家を買おう」と考え始めるのだ。理由は嫉妬や羨望ではなく、社会的・経済的な利益を守るためである。すると、さらに少し下の層も同じことを考え、それがもう1つ下の人々にも影響を与え……といった具合にドミノ倒しが起こるのだ。

地位財は、「他人の比べて優位である」ことに価値がある。逆に言うなら、地位財は「それ自体がどれだけ高価でも他者より見劣りするなら価値はない」のだ。結果、誰もがほかの人より高いものを買おうとする。だが購入した瞬間は価値があっても、周りも同じことを考えるわけだから、すぐに価値を失ってしまう。そして、さらに高価なものが欲しくなる。理論上、地位財への出費は無限に増えていくことになる。

最終的に地位財による負担を多く背負うことになるのは、収入の低い人々だ。彼らはそのわずかな収入を得る地位を維持するため、地位財への出費を強いられるだろう。しかし、地位財への出費は一時的な効果しかもたらさない。すぐに新しい地位財の購入なしでは、立場を保てなくなる。だが地位財ばかりに出費をすれば、本当の意味で生活を充実させてくれる「非地位財」を購入するゆとりを失う。また、地位財の競争は高収入の人々にとっても悲劇でしかない。より多くの収入を得られるようになったとしても、その大半を地位財に充てなければならないなら、いつまで経っても生活は充実しないだろう。

地位財による競争を抑制する方法は、「増税」だと著者は主張する。それも支出額に応じて累進性のある消費税を課すのが望ましいというのだ。それは、地位財による競争そのものを止めることはできないからである。人間が社会的な生活を営むうえで、「他者から認められたい」という欲求は避けて通れない。高い評価を受けたいという根源的な願いは、人類社会が発展するための原動力でもある。競争を抜きにして、現代社会は語れないのだ。

しかし、誰もが地位財に対して無意味な浪費を続けることが無益であるのも事実である。そこで無理に高いものへと支出することの魅力自体を下げることが、地位財の高額化を止める手段になるというのだ。他人との比較にのみ費やされる地位財が、どこまでも高級なものになることは、誰にとっても望ましくはない。ただ、地位財を通じて自らを有利にしたいという気持ち自体は抑えるのが難しい。だからこそ、「社会全体で地位財のダウンサイジングを行う」ことが、誰にとっても負担を減らすことになるというのだ。

本書は、格差自体を悪いものだとはしていない。格差がなければ、有能な人々が活躍する場がなくなるし、新しい発明や文化が世に出ることもないからだ。ただ、有能さをアピールするための地位財が高所得者も低所得者も関係なく、不幸にしている現実も無視できない。必要なのは、地位財の高騰をコントロールし、適正な規模のなかに収めることなのだ。格差の問題において、しばしば議論を混乱されているのは、「どうして格差が悪いのか」という部分である。つまり、「もっとも収入が高い人が、もっとも収入の低い人よりも1億倍の所得があることの何がいけないのか?」といった問いだ。本書を読めば、その問いへの回答が理解できるはずだ。


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